モノシェア誕生物語

いよいよ、この春に正式サービス開始しますモノシェア

「シェア」という言葉も、生活のいろんなシーンで耳にするようになりましたね。

ちょっとしたお出かけに「カーシェア」、自宅の空き部屋を旅行者に貸し出したり、複数名でひとつの部屋を共同で借りる「ルームシェア」など。

「シェア」という行為自体は、実は以前から行われていました。

ご近所さん同士で味噌や醤油の貸し借りにおすそ分け、ゆいまーると言われる畑などでの共同労働、子供の世話、など。

しかしながら、今ではほとんど行わてれいませんね。

私の地元でも、同じような状況なのは「時代だし、仕方ないね」とは思っていました。が、ここからは個人的なお話で恐縮なのですが、モノシェア誕生にとって、大切なエピソードだと思いますので、もう少しお付き合いください。

私の両親のうち、先に母が亡くなりました。とても大勢の方に見送っていただきました。

その数年後に父が他界しました。その時も大勢の皆さんに見送っていただいたのですが、母の時とはどうも様子が違う。もちろん付き合いの範囲も違うので、ご弔問の皆さんは違うのですが、うちの地元は那覇とはいえ、周囲は同じ名字ばかりでほとんど親戚みたいなもの。

母の葬儀や法事の際には、身内・親戚のほか、自治会の皆さんもお手伝いに来ていただきました。ところが父のときには、それが身内の若干名になってました。

「まぁ、親父だしねぇ」くらいにしか、その時は思ってなかったのですが、後々聞いてみると、自治会の婦人部で、もうこういった手伝いはヤメよう、となったとのこと。

ちょっと軽いショックでした。勝手な思い込みなのは承知で言うと、先ほどのように、田舎で周囲はほとんど親戚ばかり、と思っていた地元で、わざわざ自治会で決めったってことが。

「これが、地域が壊れるってこと?」と何となく、思ったのです。

そんなときに間もなく5年目を迎える東日本大震災です。

私の中で、何かが動きました。「これは大変な世の中になる。」

こんな、超個人的な出来事と社会的な出来事が、私の中でひとつになりました。

以前からシェアサービスという言葉は記憶に残っていたことと、これらの出来事が更につながり、シェアリングサービスで、世の中を「もう少し良い方向に向かせられるんじゃないか?」と考えたのです。

そこから始まったのがモノシェアなんです。

※私たちのシェアリングサービスとの出会いは、また次回にでも。

私たちはモノシェアをはじめとするシェアリングサービスで「地域の再構築」をし、「世の中をコソッと変える」 ことを目指しています。

いつの間にか、みんなの生活の中でシェアすることが当たり前になり、シェアという言葉さえ無くなる日を目指して、この春、モノシェアは始まります。

さあ、あなたの「もったいない」を、みんなの「ありがとう」へ。

モノシェアは、あなたの生活を少しだけ、豊かに楽しくすることをお手伝いします。

この投稿へのコメント

コメントはありません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

この投稿へのトラックバック

トラックバックはありません。

トラックバック URL